逆に最近の娯楽小説はドラマ化を視野に入れたキャラクター設定みたいなのばっかりで食傷気味です。 QT一般文芸はアニメにはなりにくいことが多い。それはキャラクター性がライトノベルなどと比べるとやや薄いケースが多かったり、単発のストーリーでシリーズが無い、といったことが影響していると思うが、
文芸編集者が今、本当に考えなければいけないこと║hiroyama https://note.com/publishnote/n/n0eefefea653f
下記記事を読んだ。 熱意があり、いろいろと行動も起こしていて、とても良い編集者さんなんだなと思った。 ひとりでも多く、こういう編集者が増えてほしいし、応援はしたいと思う。切に。 ただ、それと同時に、ビジネス面にはほとんど触れられていないところに違和感を感じたので、ちょっとそのあたりを書いてみようかと思う。 文芸は市場環境が全く良くない このアカウントではさんざん愚痴的に書いてきたが、文芸作品の市場は結構厳しいものがある。 上記の作品は受賞作家さんなのでまだマシであろうとは思うが、単行本は初版1000部とかもざらにあり、下手すると文庫で初版6000部とかもあったり
文芸作品は登場人物の心情を描写し、読み手は登場人物像を少しずつ固めていく。そのプロセスが読み進める醍醐味でもある。だけど最近の娯楽小説は映像化しやすいようにキャラクター設定がまずあって、お話の面白さで引っ張っていくものばっかり。キャラが決まってるからどんな人物か、読み手が積み上げていく必要性がなく、言ってみれば冒頭でネタばらしされてる気分になったりする。面白いお話で引っ張られるのはいいんだけど、キャラクター設定はほどほどにしてほしい。どうせ映像化される時は忠実に再現されるとは限らないんだし。文芸作品は登場人物の心情を描写し、読み手は登場人物像を少しずつ固めていく。そのプロセスが読み進める醍醐味でもある。だけど最近の娯楽小説は映像化しやすいようにキャラクター設定がまずあって、お話の面白さで引っ張っていくものばっかり。キャラが決まってるからどんな人物か、読み手が積み上げていく必要性がなく、言ってみれば冒頭でネタばらしされてる気分になったりする。面白いお話で引っ張られるのはいいんだけど、キャラクター設定はほどほどにしてほしい。どうせ映像化される時は忠実に再現されるとは限らないんだし。