カラオケ大会に出て、運営に「サザンのTSUNAMIでお願いします」と言ったら、ゴリッゴリのアレンジがききすぎた世界線のライブ映像をお出しされてしまい、戸惑いながら歌う羽目になった、という夢を見ました。まず本家の歌詞が出てこないって何だよ。
あー、確かに何事もやりすぎはよくないですね……人間関係もまた哲学……
「自分への質問」、言われてみれば確かにそうですね。いろいろな面を見てきたうえで、改めて「この人と付き合いをさらに続けるべきか?」を自問自答することが、人間関係の構築に影響を及ぼし続けていく……そのうえで精度の向上も身に着いていきますもんね。
やはり多面的な見方ってのはいろんな場面で重要ですね。角度を変えてモノも人も見ることが「見極める」ことだと、考えさせられます。
おっ、方丈記続け。流石にございますねぇ! 本当に少し前までまともだった人がどうして、ということはよくありますねぇ……元からぶっ飛んでる身が言うのもなんですが……
1か月ほど前、人に向けて似たような感情がありましたわぁ……ゆく川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず、か……
自分が一部ファジサポの誹謗中傷にも似たブーイングに対して苦言を呈したとき、結構とやかく言ってくる人(多分元団体構成員)がいたんだけど、それがミュートもしてないのに全然通知欄に入ってなくてゲラゲラ笑ってたし、そこの仕事に対してはイーロンGJって思ってた。 が、やっぱり何を考えてるんだろうか。どうしてその方向にばかり思い切りがいいのか。
厳密に言うと、「言語≠文字」なので、「ヒンディー語」ではなく「デーヴァナーガリー」と書くのが正解(ネパール語も同じ文字なので)なんだけど、デーヴァナーガリーって文字の名前、まず一般で聞かないよな。だから一般向けには「ヒンディー語」と書きがちだったりするんだよね
「ハラール」ってイスラーム☪️の概念だと思ってたので、ヒンディー語で書かれているのを見ると新鮮に感じる