ご無理なさらずー!!
発達障害は怪我や病気と違って、人によって捉えている輪郭が異なるから、一点についてやりとりするだけでも定義のすり合わせをしないと話は進まない。
しかし、フェミニストですら、実際にこういう出来事に出会うと、それぞれの関係性があるんだし、口出しするのは野暮かもしれないし、それを指摘することはその人を傷つけるかもしれないし、裏でこのことを話すときに悪口みたいになってしまうかもしれないなと思ってしまうというね。悪口ではないし。むしろ心配してるのにね。こういう感じでモラハラ(いまだこれをそう言っていいのか悩むし)が見えなくなってしまうとかあるんだろうな。
で、近年になって、そういうのは良くないよっていうメッセージは増えてきた。使い古された感はあるけど、自己肯定感とか言われるのは、こういうことへの反論でもあったはず。自分を蔑ろにすることを受け入れてるのは、自分を肯定できてないということなんだろう。
正直、ちゃんとしてる人ほど、そこにコンプレックスがあるので、ダメな子扱いしてくるのを愛情だと思ってしまうの、それなりにわかるだけに、やはりつらいものはある。
旅先で体の調子が悪くなっても、それを笑ったりとか、実家の事情で家を離れがちなことに拗ねたりとか。妻のことを、すごくしっかりしてないダメな子扱いしたり(めちゃめちゃしっかりしてるのにも関わらず)。でも、そうやって貶められることを愛情だと思って、話してくる。
私はなんのかんので孫子が一番しっくりきますねー。
私が「Twitter(X)で議論するのは禁止すべき」と思っていること ・差別に関する問題全て ・宗教に関する問題全て ・ペドフィリアとチャイルドマレスターについての議論 ・共産党の内部告発者に関する議論 ・CRACとしばき隊の評価に関する議論 ・セックスワークに関する議論 上記の話題は「他人と公に議論しない」を基本モットーにしています。RTしたり配信などで言うことはあります。