優しさ重視の日本の人権教育、世界と深刻なズレ 政府の義務が自己責任にすり替えられる危険性 | 東洋経済education×ICT toyokeizai.net/articles/-/8... “自分の権利を理解し、ほかの人の権利行使も尊重する、そういう人権教育を受けた子どもたちが大人になり社会人となっていく。その中に、政治家、教師、ジャーナリスト、企業の重役など、影響力のある立場の人も多く含まれる。その政策決定過程や発信に人権意識が反映され、さらに社会に影響を与える可能性も大きい。教育の役割は重大だ。日本でも本来の人権教育の普及が望まれる”
日本で人権教育というと「弱者に寄り添い、優しく思いやりを持って接する」といった優しさ・思いやりの側面が強い。しかし、これは大きな危険性をはらむ。本来であれば人権の保障は「政府の義務」だが、個人の「思いやり」の問題に帰すれば、自己責任論がまかり通ってしまう。英国エセックス大学人権センターフェローを務め、国際人権を専門とする藤田早苗氏が、日本の人権教育とその問題について考える。
参考になるかもしれないのでぶら下げておきます 日本では「人権尊重」の名目で障害者を特別支援学校に隠しちゃうからその「優しさ」自体が健常者様の上からの押し付けに過ぎず人権意識とは異なる概念になっちゃうよねという話です note.com/world_fantas...
前提 私は修士号を取得した千歳科学技術大学在学中の指導教官である川辺豊から最終的に以下の発言を受けるに至っている 「何が差別に当たるのかの統一的・具体的な定義は困難。従って私が君を差別したという指摘には当たらない。君が私から差別されたと感じているのはただの君の主観に過ぎない」 もはや空気を読んでそれが差別であることに沈黙するメリットは私には皆無になったので空気を読まずそれが差別であればどんど...