幸せになる。 あきらめない。
ひとを構うような、余裕も余力もない店で、箸を落としてしばらくぼうっとしている。 今日はこれでいいのだ つまみの味もわからないけれど 誰かに酒を注いでもらいたかっただけだから
帰れるのに、独り者なのに、帰りたくなくて飲んでいて 今いる店は追い出されそうです
さみしいと、しんどいと言えるひとが一人でもいる人生は、幸せ。
お化粧も自分史上完璧で、飲んでいて周りのひとに楽しんで頂けた感じもある。楽しい夜だったけど、ひとりになってぼろぼろの穴を埋める方法が見つからない。
辛い、苦しいとか言ってみたいな 普通にご飯を食べたりお洒落できたりする自分をもてあます。
色々さみしい 怒ったり恨む相手もいないところが
綺麗な月をみたときに、 月が綺麗ですね、って言いたくなるひとがいる幸せ。 そのひとが世界のどこにどんな状況でいたとしても。
居酒屋で定食を食べていて、目の前のテーブルの70代位の、夫婦には見えなかったから恐らくカップル、の白髪の男性の方が “この年になるとあれもこれも、と思っちゃうんだよね。居酒屋なんかどれもそんなに変わらないから、じゃあ折角だからあれもこれも、ってなるんだけど、本当はそれじゃ楽しめないんだよね。自分は一人しかいないし時間は限られてるし、あれかこれか、じゃないとさ” あんまり熱心に語っていて、女性の方がよくわからない、という感じだったので、 そうだよね、 と言いそうになった。 目の前のご飯が美味い、これが、あなたが、素敵、好き、と言い切れる 、 最高だな!って言えるときの幸福の話。
『自分の命よりも大切な人がいる、その人がいるから生きたいという願いは、愛だ。』 そうなのだ、それが叶うと叶わざるとに関わらず、そう思ってしまうことが。
#虎に翼 51話を夫婦で観て以来、夫と何度か議論している。 同性友人に恋愛している、それを自覚していないに人に第三者が指摘する行為について。 勿論、轟と花岡、よねの状況は非常のものだとした上でのこと。性愛と自認について夫婦で話し合う機会を得たと捉えています。 note.com/nuetwt2023/n...
花岡(岩田剛典)が死んだ。 配給分以外にまったく食料がないのならともかく闇買いで得ることができる状況なのに、配給だけで生きてゆけという法を守った者が死んだのなら、国の失政の証だ。戦死、戦病死した人々と同じく「可哀想に」と涙するだけで済ませてはならない犠牲者だ。 チラリと映る新聞に「花岡判事の日記」が記事として載っている。 「食糧統制法は悪法だ、しかし法律としてある以上、国民は絶対にこれに服従せ...