1939年9月の欧州開戦劈頭にデンマーク海峡を突破してドイツ本国を目指した商船の一覧。英海軍の補助巡洋艦の活動が始まると自沈、拿捕が多くなっており、1940年5月に英軍がアイスランドを占領すると、ビスケー湾の港が確保されるまで商船の帰国は不可能となった。 warcovers.dk/greenland/bloc…
1939年9月の欧州開戦劈頭にデンマーク海峡を突破してドイツ本国を目指した商船の一覧。英海軍の補助巡洋艦の活動が始まると自沈、拿捕が多くなっており、1940年5月に英軍がアイスランドを占領すると、ビスケー湾の港が確保されるまで商船の帰国は不可能となった。 www.warcovers.dk/greenland/bl...
Anneliese Essbergerが1941年5月に封鎖突破船に選定された際には多数の乗組員がシベリア鉄道経由でドイツに帰国しており、他の独商船の船員が合流しました。 6)1941年6月20日極東発の6隻目として大連を出発し、7月14日~25日の間ツアモツ諸島近海で仮装巡洋艦コメットKometに補給を行い、1941年9月10日に無事ボルドーに到着しました。 1942年初め入渠して大規模なオーバーホールを行い、その後はHersteinの偽装名で停泊しました。1942年5月と6月には囮船となってラパリスへと向かい、帰路には海上で迷彩塗装を行ってボルドーに別の船が入港したように偽装しました。
極東からの封鎖突破船6隻目は貨物船Anneliese Essberger 1935年にハンブルグのDeutscheWerft-Finkenwerder造船所で建造されたEssberger海運の貨物船で、アメリカ大陸~極東航路まで広範囲の不定期貨物船として運航されました。 1939年4月、ロッテルダムを出発しカナダとアメリカ東海岸に寄港後、パナマ運河経由でバンクーバーに向かい、上海向けの木材を積載してバンクーバーを出発しましたが、出発直後に戦争が勃発したため神戸に寄港し、その後21か月係留された間に乾ドックでの整備が行われました。
5)Ramsesは極東からの5隻目の封鎖突破船として大豆と生ゴムを積載して1941年5月12日に大連を出発し、太平洋~ホーン岬経由で大西洋を目指したが6月27日に横浜への帰還命令を受け、7月30日に横浜に到着し荷下ろしの後は横浜で捕虜船員収容船として使用されました。
極東発の封鎖突破船5隻目は貨物船Ramses 1926年にフレンスブルクで建造されたDDG Kosmaos社の貨物船で南米西海岸航路に就役し、後にDDG Kosmaos社はHamburg-Amerikanische Packetfahrt-Actien-Gesellschaft (Hapag)に買収されたため、RamsesもHapag社の所有となりました。 1939年7月1日、ハンブルクを出発して8月25日上海に到着したため欧州開戦の1939年9月3日の時点で上海に停泊しており、1941年3月29日に神戸に移動し封鎖突破船として準備が行われた。
1940年9月~1941年2月、太平洋で仮装巡洋艦KometとOrionの補給船として活動後、4)大連で封鎖突破船としての準備を行い生ゴムと油脂類を積載して1941年5月5日に大連を出発~太平洋~ホーン岬~大西洋を突破し、6月27日に無事ボルドーに到着しました。極東発の4隻目として出発しましたが、2隻目のOle Jacobは仮装巡洋艦Olionの随伴タンカーとして活動しており、3隻目のElbeは大西洋で沈没したためボルドーに到着した2隻目の封鎖突破船となりました。
極東からの封鎖突破船4隻目は貨物船Regensburg 1928年にシュテチンのAG Vulcanで建造されたブレーメンの北ドイツロイド社(NDL)の貨物船でTrabeと命名されました。NDLの高速貨物船シリーズ15隻の10番船で、最初のディーゼル船として建造され、総排水量8,068トン、巡航速力13.5ノットを発揮しました。 1938年に大改装によりMAN社製新型ディーゼル機関に換装され、総排水量7,956トン、巡航速力16.5ノットが可能となりRegensburgと改名し、1938年7月4日に復帰後は主要航路に配船され1939年9月3日に横浜に到着しました。
1938年までの間はバンクーバー航路に就航した後、1939年4月5日と7月24日には東アジア航路に出発し、9月3日の欧州開戦の時点で横浜に停泊していました。 1941年4月20日に極東からの第3船として生ゴムなどの戦略物資を積載して大連を出発してボルドーを目指しましたが、独戦艦Bismarckと巡洋艦Printz Eugenを捜索中の英空母HMS Eagleのソードフィッシュ機に発見され、1941年6月6日にアゾレス諸島沖で沈没しました。 1941年6月21日に英海軍の補助巡洋艦HMS Hilaryが漂流中の乗組員19名をたまたま発見して救助しました。
1931年6月からBlue Star LineにチャーターされてWenatchee Starとしてアメリカ太平洋岸航路に配船され、 1931年11月3日にキール帰港後はHolsteinと改名し係留されました。 1933年12月にNorddeutscher Lloyd(NDL)に売却され新型のMAN社製ディーゼル機関搭載とともに船体も拡大され総排水量9,179トン、1本煙突で17名分の客室を備える当時ドイツ最大の貨物船となり1934年11月15日にElbeと改名され就役し、11月22日ブレーメンからバンクーバーへの処女航海に出発しました。