BLUE
Profile banner
のりっく@泡沫戦史研究所
@noricksakurai.bsky.social
泡沫戦史研究所は第2次大戦枢軸軍の泡沫のように消えた名も無き小部隊、臨時編成部隊、外国人義勇兵、東部大隊、警察部隊などを研究しています。 あおぞらでは戦時商船、仮装巡洋艦、封鎖突破船、徴用漁船を中心に投稿予定。 X twitter.com/noricksakurai Togetter togetter.com/id/noricksakurai 泡沫戦史研究所 www.eonet.ne.jp/~noricks/
15 followers7 following42 posts
noricksakurai.bsky.social

極東からの封鎖突破船11隻目、通算15隻目はイタリア貨物船船Cortelazzo 1931年3月にイタリアで建造された貨物船で、ベネチアを母港として、1937年からはトリエステを母港として紅海~インド洋~極東航路に就航した。1940年4月3日にはスエズ運河を通過して極東に向かったが、無事通過した最後のイタリア船となった。 1940年6月10日のイタリア参戦の時点で神戸に停泊しており、極東からの封鎖突破船の最初のイタリア船に指定された。 15)1941年11月16日、大連を出発し太平洋~ホーン岬~大西洋を突破して1942年1月27日午後にボルドーに到着した。

1
noricksakurai.bsky.social

極東からの封鎖突破船10隻目、通算13隻目は貨物船Spreewald 1922年にハンブルクで建造されたHamburg-Amerikanische Packetfahrt-Actien-Gesellschaft(Hapag)の貨物船で、Wald級と呼ばれる10隻の貨物船シリーズの1隻として建造された。1935年に南米西海岸航路に就航した際にはAnubisと改名したが、1939年に再びSpreewaldと改名し、6月の欧州開戦の時点で日本に退避していた。

1
noricksakurai.bsky.social

極東行きの封鎖突破船3隻目、通算11隻目は貨物船Klara 1930年に建造されたオランダ貨客船Kota Pinangで1940年5月のドイツ軍のオランダ侵攻時に港で拿捕された。1941年5月18日ライン演習作戦の偵察船として出撃し、6月にフランス西部の港に帰還した。6月12日に潜水艦補給船として改装されKlaraと改名しダカールへの配備が計画されたが7月に中止された。 11)1941年9月27日にボルドーを出発し9月29日にジロンド川河口を機雷原突破船に偽装して通過し護衛のU-129とともにビスケー湾に入ったが10月3日フィニステレ岬沖で英軽巡洋艦HMS Kenya に発見され撃沈された。

1
noricksakurai.bsky.social

極東への封鎖突破船2隻目、通算9隻目は貨物船Rio Grande 1939年にハンブルクでBelgrano級貨物船シリーズの4番船として建造され、Hamburg Süd社で南米航路に就役した。1939年6月の欧州開戦時にはブラジルのRio Grande do Sul州の港に停泊しており、ドイツ海軍の補給艦に指定されて待機しました。 1940年10月31日にブラジルの港を脱出し中部大西洋で活動する仮装巡洋艦トールThorと会合し、トールからは364名の拿捕船員を移乗させ、物資と燃料をトールに補給して12月13日に無事ボルドーに到着できた。

1
noricksakurai.bsky.social

極東発の封鎖突破船7隻目は貨物船Odenwald 1923年にハンブルクで建造されたHamburg-Amerikanischen Packetfahrt-Actien-Gesellschaft (Hapag)社の貨物船Odenwaldで主に南米太平洋航路に就航したが、1935年にはアメリカ西海岸への就航に合わせてAssuanと改名され、1939年に再びOdenwaldと改名された。1939年4月にハンブルクを出発しフィリピン経由で日本に向かい、8月12日に名古屋からロサンゼルスに向けて出発した。8月26日北米西海岸近くで海軍の緊急電を受信し、日本に引き返して9月15日に横浜に到着した。

1
noricksakurai.bsky.social

1939年9月の欧州開戦劈頭にデンマーク海峡を突破してドイツ本国を目指した商船の一覧。英海軍の補助巡洋艦の活動が始まると自沈、拿捕が多くなっており、1940年5月に英軍がアイスランドを占領すると、ビスケー湾の港が確保されるまで商船の帰国は不可能となった。 warcovers.dk/greenland/bloc…

1
noricksakurai.bsky.social

1939年9月の欧州開戦劈頭にデンマーク海峡を突破してドイツ本国を目指した商船の一覧。英海軍の補助巡洋艦の活動が始まると自沈、拿捕が多くなっており、1940年5月に英軍がアイスランドを占領すると、ビスケー湾の港が確保されるまで商船の帰国は不可能となった。 www.warcovers.dk/greenland/bl...

0
noricksakurai.bsky.social

極東発の封鎖突破船5隻目は貨物船Ramses 1926年にフレンスブルクで建造されたDDG Kosmaos社の貨物船で南米西海岸航路に就役し、後にDDG Kosmaos社はHamburg-Amerikanische Packetfahrt-Actien-Gesellschaft (Hapag)に買収されたため、RamsesもHapag社の所有となりました。 1939年7月1日、ハンブルクを出発して8月25日上海に到着したため欧州開戦の1939年9月3日の時点で上海に停泊しており、1941年3月29日に神戸に移動し封鎖突破船として準備が行われた。

1
noricksakurai.bsky.social

極東からの封鎖突破船3隻目は③貨物船Elbe 1929年にキールのDeutsche Werke造船所でノルウェー船主のIvar Anton Christensen向けにSud Expresoとして建造され、総排水量6,600トン、2本煙突で大型冷蔵室と30名分の客室を備えディーゼル機関で最大速力16ノットを発揮しました。6月~7月に引き渡されましたが船会社は性能に満足せず、1930年に新型機関への改修が計画されましたが世界恐慌の影響で実現せず、1931年1月にDeutsche Revisions - und Treuhandbank AGに売却されました。

1
noricksakurai.bsky.social

第2次世界大戦で極東~欧州間の封鎖突破船は1940年12月から1943年まで、途中での中止を含めてのべ67回の航海が行われました。そこで今回は出発日順に極東~欧州間の封鎖突破船の航海を紹介します。 まずは①極東から最初の封鎖突破船「Ermland」 1922年8月にハンブルグで「Havelland」級貨客船の4番船として建造されたHamburg-Amerikanische Packetfahrt-Actien-Gesellschaft(Hapag)の貨客船で、3番船の「Rheinland」ととともに新型ディーゼル機関を搭載し、乗組員58名と貨客船としては少ない乗客18名の船室を備えました。

1
Profile banner
のりっく@泡沫戦史研究所
@noricksakurai.bsky.social
泡沫戦史研究所は第2次大戦枢軸軍の泡沫のように消えた名も無き小部隊、臨時編成部隊、外国人義勇兵、東部大隊、警察部隊などを研究しています。 あおぞらでは戦時商船、仮装巡洋艦、封鎖突破船、徴用漁船を中心に投稿予定。 X twitter.com/noricksakurai Togetter togetter.com/id/noricksakurai 泡沫戦史研究所 www.eonet.ne.jp/~noricks/
15 followers7 following42 posts